haikeisettei.png

ファイル 2018-02-13 16 06 02.jpeg

あらすじ.png 上演記録.png キャスト.png 背景設定.png

舞台写真.png 稽古場風景.png 動画.png オンラインショップ.png

【背景】

ニイハウ島

南北28キロ、東西9キロと、ハワイ諸島の中で二番目に小さく、人が住む島としては最西端に位置する。カウラカヒ海峡を隔ててカウアイ島が隣に並んでいる。
主要な産業がなかった為、ハワイ諸島がアメリカに併合される以前の1864年、島民もろ共にスコットランド人女性・エリザベスシンクレアに売却された。シンクレアはニイハウ島を理想郷にするべく、外界から島への侵入を厳しく制限し、島民には生活を保障する代わりに自分の宗教的信条を遵守するように求めた。白人の支配者がやってくる事に幻滅した島民はこの時期に島を離れるものが多数いたとされる。農耕には不向きな赤土に覆われており、また降水量が少なく、海からの強風にあおられる為、ハワイで盛んであったサトウキビの大規模なプランテーションは実現せず、小規模な農園や牧畜と養蜂、漁業が細々と続けられるにとどまった。



niihau-the-forbidden-island-aloha-hawaii.jpg

ロビンソン家

92歳でシンクレアが他界すると、後継には孫のアブリ・ロビンソンが就いた。
アブリはニイハウ島民を奴隷のように扱うのではなく、愛情をもって子供に接するように関わってきた。
これに対し島民も尊敬の念をもって接してきた。1869年以降、ロビンソン家は事業を拡大するためカウアイ島に本拠を移し、ニイハウ島には管理人を置くようになった。
アブリには5人の子供がおり、そのうちの次男、アイルマー・ロビンソンが父親の後をついでニイハウ島の管理を担う事になった。アイルマーは2週間に1回の定期船で島を訪れ、作物や家畜の搬出を直接指示した。
今日に至るまでニイハウ島が個人所有のしまとして存続しているのは、シンクレア夫人が描いた理想郷をそのまま残したいというロビンソン家の異常なまでの理想主義によるものである。

 
IMG_0002.png
アイルマー・ロビンソン

日本からの移民

1868年、日本から160人の移民が初めてハワイに到着する。元年者と呼ばれる彼らの中で永住しようとする者は少なく、その後、一旦日本からの移民は途絶える。
労働力不足に悩むハワイ政府と外貨獲得で苦労していた日本政府の利害は一致し、両国政府が率先してハワイへの移住を奨励した事から、日本人の移民は徐々に増加していった。

 
274.jpg

【参考文献】

『真珠湾攻撃秘話 赤土の島 ―日本軍パイロットを助けた日系二世―』 著:藤本文昭 創風社出版

『真珠湾の不時着機 二人だけの戦争』 著:牛島秀彦 河出出版