事前検閲
GHQによる検閲を担当していた部門は民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment)といわれ、通信検閲やメディア検閲を通じて、日本人の秘密活動を摘発した。また世論の実相を把握し、メディアを統制する工作を行っていた。しかしGHQやマッカーサーは自ら制定した「日本国憲法」の中にある言論の自由と矛盾するCCDの行為に負目があったため、CCDの存在を隠し、それへの内外とくにアメリカ・メディアからの批判をかわそうとした。GHQによる検閲は1945年9月10日に開始され、49年10月31日に終了した。
民間検閲支隊
民間検閲支隊(Civil Censorship Detachment)は郵便,電信,電話の検閲を行う通信部門と新聞、出版、映画、演劇、放送などの検閲を担当する部門があった。職員は当初は1千人にも達しなかったが、その後は急増し、1947年のピーク時には8700名にもなったが、その存在は日本人にほとんど知られていなかった。1949年5月の資料によると、郵便検閲ではその1カ月間で国内郵便物の13%の2300万通を集め。その中から選び出した2%の350万通,電信は国内電信の15%の500万通、電話は全電話の0.1以下であったが、70台の盗聴機を使って63人の日本人が対応していた。
プレス・コード
GHQによって書物、新聞などを統制するために発せられた規則「日本新聞遵則」により
・連合国軍最高司令官(もしくは総司令部)に対する批判
・極東国際軍事裁判批判
・検閲制度への言及
・連合国の戦前の政策に対する批判
・戦争擁護・神国日本・軍国主義・ナショナリズム・大東亜共栄圏その他の宣伝
・占領軍軍隊に対する批判
等、連合国や占領軍についての不利な報道は制限された。
帝銀事件
1948年1月26日、東京都豊島区長崎町の帝国銀行椎名町支店で起こった強盗殺人事件。行員ら16名が、都の衛生課員を装った人物に、赤痢予防薬と欺かれ青酸化合物入り液体を飲み、うち12名が死亡した。捜査は難航し、戦時中の陸軍の731部隊の関係者が洗われるなどしたが、事件発生から7ヵ月後、平沢貞通が北海道小樽市で逮捕される。平沢はいったんは自白したが、公判では否認。1950年に一審で死刑判決、55年に最高裁で確定後も再審請求を続けたが、亡くなるまでついに認められることはなかった。
かしこいへび
いっぴきの ヘビが クマに くわれてしまった
ヘビのこどもたちは カタキをうとうと クマのねぐらを めざした
しかし ちょうろうヘビは こういった
フユになるのをまち クマが ねむっているすきに あらゆる しゅだんで おそいかかれ
ヘビが なかまを あつめると ハブと マムシが やってきた
ハブは どくを もっている マムシは どくを もっている
まさか まさかの どくかぶり
おおきな おおきな アナコンダ セイロンからきた アナコンダ
もっと ちからが ほしいのか
なら バクダンを つかえばいいじゃない
バクダンを のみこんで ヘビバクダンの できあがり
やがてフユがきて クマは とうみんをはじめる
ときはきた ヘビたちは ねぐらめがけて いっせいに おそいかかった
クマも とびおきて はんげき グルル
ヘビ シャァァ クマ グォォォ ヘビ シャァァ
ヘビバクダン ヘビバクダン
クマ たまらず あなに にげこんだアナコンダ
ハブハブ マムシ ハブ マムシ
そして おうえんに かけつけた マタギ
マタギは さいきょう
こうして かしこいヘビは カタキをうったのです
おしまい
かしこいヘビ
江川君代・作
大日出版社(絶版)