江島邸が建つ御殿山(ごてんやま)は、東京都品川区北品川にあり高輪台地の最南端に位置する。
歴史
眼下に江戸湊を見下ろす高台で、江戸時代初期から徳川家康が建立したと伝えられる品川御殿があったためそう呼ばれる。歴代将軍鷹狩の休息所として、また幕府重臣を招いての茶会の場として利用されていたが、元禄15年(1702)2月11日四ッ谷太宗寺付近の出火で麻布御殿ともに焼失、8月14日に廃止された。寛文(1661-73)の頃から桜が移植され、文政7年(1824)の宿差出明細帳写(品川町史)によると御殿山の面積は11500坪で600本に及ぶ桜の名所として整備された。
幕末期には、国防のための台場建設用土砂採取場となり、山の北側(現在の北品川3丁目3番、4番付近?北品川4丁目7番東側付近)がえぐられ窪地となった。
開国後の文久元年(1861)、幕府は英国をはじめ諸外国の公使館を御殿山に建設することを計画した。しかし、翌年12月12日、完成間近の英国公使館を高杉晋作・志道聞多(井上馨)・伊藤俊輔(伊藤博文)ら尊皇攘夷派13名が襲撃し全焼した(英国公使館焼き討ち事件)。
明治期には、鉄道敷設のために東西に分断された。付近には益田孝など富裕者の屋敷が多くあった。