舞台の設定【城南乳業株式会社】 of #027 また悪だくみをしているのね

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資料③
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城南乳業株式会社(じょうなんにゅうぎょう)は、東京都品川区に本社を置く、日本の乳製品・食品メーカーである。
バター・チーズなどの乳食品事業や、牛乳・乳飲料などの市乳事業、育児品、アイスクリーム、冷凍食品、調味料、医薬品なども手掛ける、
総合食品メーカーであり、グループ全体の連結売上高が500億円を超える大企業である。

概要

yayoi-hojou-1966.jpg1892年創業の城南農場(南沢財閥系)を母体とし、1951年、城南農場を経営する城南農牧株式会社(1938年設立)の乳業部門を引き継ぎ、同社と下柳系の北斗麦酒株式会社(現・ホクトホールディングス)との折半出資により設立された。1958年4月に下柳フーズが資本参加し筆頭株主となり、酪農・種鶏・たまご・山林・環境緑化・技術研究・観光・農場商品販売等の総合的な農林事業を行っている。主要製品に「城南しずく牛乳」「城南牧場ヨーグルト」「城南牧場草の恵みバター」「八幡平チーズ」「八幡平ちょっととろけるチーズ」「ベビーフードすくすくしずく」「ジヨウナンメイヨー(マヨネーズ)」などがある。社名・商標は小字を用いず「ジョウナン」ではなく、「ジヨウナン」。

城南牧場

073_81_40_90m_93c_8eR_96q_8f_ea.jpg城南牧場の誕生は、その前段として1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り名づけられた「小岩井」農場の誕生がある。その手法を全く真似した形で翌年の1892年(明治25年)北洋郵船の山城太良(やましろひろよし)、南沢商事の南沢有(みなさわたもつ)、下柳牧場の下柳篤(しもやなぎあつし)の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採ったつもりで「城南」農場と名付けられたが、この時何かの手違いで農場名に名前が入らなかった下柳が立腹して経営を外れる。下柳は腹いせに鶏小屋から鶏を数百羽盗み出し、隣の安代町に下柳養鶏場を設立する。
当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。

沿革

cm.jpg明治26年、乳牛の集団酪農を目的として城南農場を中心に、有限責任製酪農場組合が設立され、バターの製造と販売を開始する。大正12年、製酪販連合会に改組。商標を「しずく」と決定する。昭和初期に入ると、アイスクリーム、チーズ、マーガリンの製造販売を開始する。が、戦中の企業統制に伴い、同業他社を統合し東北興農公社に改組される。終戦後、東北酪農協同株式会社に再び改組。昭和25年、過度経済力集中排除法に抵触したため、東北製酪農(のちの北洋乳業)と企業分割し、城南農政株式会社が発足する。
この頃、食品メーカーのキユーピーがマヨネーズの製造販売を初めた。下柳養鶏場はその製法を模倣し、自社農場で製造したマヨネーズ販売に乗り出すが、業績不振に陥り、企業再生の道を模索していた。
昭和26年、城南農場を経営する城南農牧株式会社の乳業部門が、経営難に陥っている下柳養鶏場のマヨネーズ製造部門を引き継ぎ、北斗麦酒の出資により城南乳業株式会社が発足する。昭和28年、埼玉県川口市に関東工場、栃木県那須塩原市の那須工場を立て続けに開設し、本州への生産拠点を持つ。昭和30年、本社を東京都品川区に移転。同年、雪印八雲工場脱脂粉乳食中毒事件・森永ヒ素ミルク中毒事件が発生した事から漁夫の利を得たことで大幅に業績を伸ばす。